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女を見る女のまなざし

日本文芸映画における女同士の絆

徐 玉

紙 版

1950-60年代文芸映画における女性たちのまなざしから、異性愛の物語の裏に潜む同性愛的欲望や家父長制への抵抗を考察。

出版年月2025年02月25日
ISBN978-4-87259-808-7 C3074
判型・頁数 四六判・250ページ
定価本体4,000円(税込4,400円)
在庫未刊・予約受付中(近刊)
内容紹介
目 次
著者略歴

異性愛の物語の裏に潜む、女性たちの豊かな感情世界
日本映画の黄金時代である1950年代から60年代、女性観客をターゲットに量産された文芸映画。これらの作品では異性愛を中心に物語が展開する場合にも、母娘、姉妹、友人、恋敵など、さまざまな形の女性同士の関係がきめ細かく描かれ、そこには新しい時代の女性の生き方が提示されていた。
この時期の文芸映画において多様な女性同士の関係が表現されたのはなぜか。その女同士の関係にはどのような特徴があったのか。家父長制の下で女性同士が結ぶ連帯、隠蔽された女性の同性愛的な感情、女性スターのペルソナが持つクィア性、スター女優共演のシステム――さまざまな観点から映画テクストを分析。6本の文芸映画『お遊さま』(溝口健二監督〔1951〕、谷崎潤一郎原作)、『挽歌』(五所平之助監督〔1957〕、原田康子原作)、『女であること』(川島雄三監督〔1958〕、川端康成原作)、『香華』(木下惠介監督〔1964〕、有吉佐和子原作)、『華岡青洲の妻』(増村保造監督〔1967〕、有吉佐和子原作)、『千羽鶴』(増村保造監督〔1969〕、川端康成原作)を中心にスクリーン上で交わされる女性たちのまなざしを追い、これまで十分に論じられてこなかった「女同士の絆」に光を当てる一冊。

序章
1 はじめに
2 文芸映画と女性
3 映画における女同士の絆
4 本書の構成

第1章 覆われた欲望―『お遊さま』(溝口健二監督[1951])における姉妹
1 溝口のお遊さま―横臥と「見上げる視線」
2 お静の告白と「女性化された」慎之助
3 疑似母性メロドラマと「レズビアン表象可能性」

第2章 母性幻想とレズビアン感性―『挽歌』(五所平之助監督[1957])と『女であること』(川島雄三監督[1958])をめぐって
1 『挽歌』における疑似母娘
 1.1 原作と映画におけるあき子と怜子
 1.2 女たちの声
2 『女であること』における疑似母娘
 2.1 川島的空間とセクシュアリティの揺らぎ
 2.2 原作と映画における市子とさかえ
3「特殊児童」としての久我美子

第3章 「家」を出る女たち―『香華』(木下惠介監督[1964])における母娘
1 「家」をめぐって―異類の母としての郁代
2 フラッシュバックの不在―「母」の声
3 吾亦紅から三椏へ―「母」とふたたびつながること

第4章 女を見る女のまなざし―『華岡青洲の妻』(増村保造監督[1967])における嫁姑
1 映画テクストにおける加恵と於継の視線
 1.1 於継を見つめる加恵
 1.2 「見つめる者」と「見られる者」
 1.3 ぶつかる視線と三角形の構図
2 欲望の三角形と女の共同体
 2.1 欲望の三角形と小陸のまなざし
 2.2 於継にとっての加恵
3 於継と同一化する加恵―原作との比較から

第5章 女性スター共演の力学―『千羽鶴』(増村保造監督[1969])における女同士の関係
1 二つの『千羽鶴』、二つの「三角形」
2 若尾文子の太田夫人―その身体と回帰
3 京マチ子のちか子―二大スター共演の力学

終章 日本文芸映画における女性の欲望のあり方と女同士の絆
1 六作品を横断するもの
2 文芸映画と女性スター
3 欲望の三角形と女同士の絆
4 母なるものとふたたびつながること
5 女たちと「家」
6 結語

1950―60年代日本映画年表(本書に登場する作品や俳優を中心としたもの)
引用文献と映画作品
あとがき
人名索引
事項索引
映画索引

徐 玉(ジョギョク)

1993年中国遼寧省生まれ。専門は映画研究。2023年3月大阪大学大学院言語文化研究科言語文化専攻博士後期課程修了、博士(言語文化学)取得。現在、名古屋大学ジェンダーダイバーシティセンター特任助教。
近著に、「〝想い出〞としての女同士の絆」(『ユリイカ 特集:山田太一』2024年4月号)、論文に「任侠映画における女たち―「姐御」としての岩下志麻をめぐって」(『「文化」の解読(二二)―文化とイデオロギー』2022年)などがある。